ラーメン屋で少し長居した理由

日常の出来事

 

    

 午後2時前のラーメン屋で

客はカウンター席の私1人。

有線放送の懐メロを聞きながら

醤油ラーメンを食べ、

健康のために5口分程のスープを残して

店を出ようと立ち上がりかけた瞬間に

沢田健二さんの『勝手にしやがれ』の

衝撃的な前奏が私の耳を撃ったのでした。

 

 これを聞き終えないまま

会計に進むことは許されません。

もう一度しっかり座り直して、

曲とスープを最後まで堪能しました。

 

 

 

 幻聴かもしれませんが、店の奥にいた

大将に「出て行ってくれ〜♪」と

言われたような気がしたこともあり、

曲が終わり次第、早々に店を出ました。

 

 

 スープの分だけ太ったかな・・・・・?

 

 

 

 

 ああぁぁ〜、ああぁぁ〜、ああぁぁ〜、

ああああぁぁあ〜ああぁ〜。

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2千人の子孫探し⑦

伊能忠敬

 

 3月12日(土)。

フジテレビのニューススタジオで

伊藤敏尋アナウンサーと

『みんなのニュース』のCMを

撮影させて頂けることになりました。

 

 希望するフジ系列局が10社ほどあり

短時間で順番に撮影していったため、

スタジオ内滞在時間は待ち時間含め

10分程というスピード業務です。

 

4.26みんなのニュース(3ショット

 

 

 これで岡山に戻るのではあまりにも

もったいないと思ったので、私はデジカメと

簡易三脚を持って行きました。

伊能忠敬研究会のメンバーで

忠敬の電子版百科事典『イノペディア』を

中心的に作っておられる戸村茂昭さんの

インタビューを撮影するためです。

 

 戸村さんのご自宅は東京駅から

約1時間半、千葉県山武市の郊外にあり

到着したのは夕方5時を過ぎていましたが、

快く取材に応じて下さいました。

 

 研究会の歩みや

『イノペディア』制作の経緯、

忠敬の足跡など興味深く伺いましたが、

最も印象的だったのは

「岡山など西日本の測量は

幕府の直轄事業になってから

行われているので関係者も多く、

その子孫も多いはず。

従って残っている史料も多いはず」という

ご指摘でした。

子孫・新史料探しの励みになります。

 

 せっかく上京したので1泊し、

せっかくデジカメと三脚を持参したので、

翌日は東京・江東区の門前仲町にある

富岡八幡宮で忠敬の銅像を撮影しました。

測量の旅に出発する際には必ず立ち寄って

安全を祈願したというゆかりの地です。

この銅像は特集の映像を作る時に

大変役立ちました。

 

 

 せっかくなので当地の名物、

大きなアサリをたっぷり食べて帰りました。

 

 

続く。

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

 

 

究極の米粉麺づくりに「本場」から強力助っ人!

出演番組やイベント等のお知らせ

057001071

 

 

 浅口市鴨方町は手延べ麺の産地。

奥島創麺巧房の奥島信行社長(写真左)は

伝統製法を今に伝える麺職人です。

 

 奥島さんは岡山県産米を使用した

米粉麺を普及させるグループの

メンバーでもあります。

 

 米粉は小麦アレルギーの方でも

食べられ、しかも低カロリー。

コメの消費拡大や耕作放棄地解消にも

繋がることから注目されています。

しかし、粘り気の強い日本米から

麺を作るのは大変困難なのだそうです。

 

 グループでは4年間、試行錯誤を重ね、

ついに「ほぼ完成」という域に達しました。

しかし、この最終段階である課題が・・・。

 

 その解決のために招かれたのが

米粉麺の本場ベトナムの麺職人、

チャン・ゴック・トイさん(写真右)です。

 

 

057001072

 

 

 究極の米粉麺づくりに挑む

国境を越えた麺職人の二人三脚が

始まりました。

 

 きょう夕方4時50分からの

『みんなのニュース』特集コーナーで

放送します。

ぜひご覧下さい!

 

 

あるはずのない場所にあったもの

日常の出来事

 

 

 風呂上りにビールを飲んでいると

次に浴室に入った小6長女の叫び声。

 

 

 

 

「わぁぁっ!

 お母さぁんっ! 

 

 お風呂でイカが死んどる!」

 

 

 

 

 私が腰に貼っていた湿布が

剥がれ落ちていたのでした。

 

 

 

 

 

 そんなイカがおったら

つまみにしとるわ。

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2千人の子孫探し⑥

伊能忠敬

 

 取材の過程で新史料が発見されれば

ベストですが、その可能性は

あまり大きくないため、

せめて測量協力者のご子孫に

データベースの中に活字として掲載された

ご先祖様の名前を確認してもらうことを

目的としました。

 

 祖先が伊能忠敬の日本地図作成という

偉業にゆかりがあったことを知るだけでも

「へぇ〜。」だと思いますし、

その地域の視聴者にとっても

「ほぉ~。」だと思います。

 

 

 データベースに記された地名と氏名、屋号、

および前述の名家の家系図が掲載されている

歴史愛好家のウェブサイトや電話帳を頼りに

協力者の子孫と思われる家を探し歩きました。

 県内各市町村の教育委員会や歴史研究者、

愛好家の皆さんを始め、面談や電話での照会に

大変多くの方のご協力を頂きました。

順不同でざっと列記しますと・・・、

 

岡山市立西大寺公民館職員の方
西大寺の歴史愛好グループの方、
矢掛町教育委員会の方、
岡山市立足守公民館の方、
足守の歴史愛好家の方、
岡山県立博物館の内池英樹さん、
津山郷土博物館の梶村明慶さん、
玉野市教育委員会の方、
玉野市山田市民センターの方、
玉野の歴史愛好家の方、
瀬戸内市教育委員会の方、
備前市歴史民俗資料館の方、
倉敷市教育委員会の方、
新見市教育委員会の方、
岡山市東区藤井地区の住民の方、
岡山市東区九蟠地区の住民の方、
岡山市立山南公民館の方、
岡山市東区水門町の住民の方、
西大寺文化資料館前館長の中村さん
・・・・・・・。

 

 なかでも岡山県立博物館学芸員の

内池英樹さんからは、ローカルテレビ局が

地元の歴史を取り上げることの

意義深さについてご教示頂くとともに、

大変温かい励ましの言葉を頂きました。

ありがとうございました!

 ちなみに「住民の方」と表記したのは、

「すみません、この辺りに●●さんという

 お宅はありますか?」と通りすがりに

尋ねた数人を含みます。

 

 3月の空いた時間はほぼこの作業に没頭し、

幾人かのご子孫に辿り着くことも出来ました。

(後述)

 

そんな中、思わぬチャンスが訪れました。

 

最近めったになかった「東京出張」です!

 

 

続く。

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

 

娘の鼻歌

日常の出来事

 

 

 

 先日、台所で小6の長女が

鼻歌を歌っているのが

何となく聞こえてきたのですが、

その歌が、

 

 

 

「いろんなぁ出会いぃに〜、

 感謝ぁしながぁら〜♪♪」

 

 

 最近よく目にする

住宅メーカーのCMで

中村雅俊さんが熱唱している

曲でした。

 

 

 

 

小6女子、渋っ!

 

 と言うか、繰り返し流れるCMの

影響力を改めて痛感です。

 

 

 

 

 この歌は私の鼻歌レパートリーの

一つでもありますが、

いかんせんCMソングの宿命で

サビしか知らないので、

今度ぜひイントロ部分から

拝聴したいものです。

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し⑤

伊能忠敬

 

 岡山県内の主な名家の家系図が

掲載されているそのサイトで

伊能忠敬測量日記に出てくる

宿泊地と宿を提供した人の名前、

宿泊年月日照らし合わせてみると、

「あ、この人だろうな!」と

一致しそうな人が何人かいました。

その家のご子孫なら、ひょっとすると

未発見の貴重な史料をお持ちかも。

それが発見できれば、郷土の歴史の

解明につながるニュースになります・・・。

 

あ、

 

そうだ、

 

 

ニュースだ!

 

 

 一歴史ファンの趣味の域ではなく

次に私がディレクターを担当する

ニュース特集のテーマにしよう!

新史料の発見につながるような内容の。

そこまで至らなくても、

伊能忠敬と岡山のゆかりを紹介し、

多くの視聴者が「へぇ〜」と

感じてくれるような内容の。

 

 

 

 そう決めたら、堂々と日中に

リサーチができるようになりました。

 

 

 

業務として。

 

 

続く。

 

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し④

伊武雅刀さん 伊能忠敬

 

 黒田さんいわく、表町界隈には

かつての長船町福岡地区(現在の

瀬戸内市)から移住してきた人が多く、

故地の名を屋号とし「福岡屋」を

名乗る家が多かったとのこと。

 

 ちなみに歴史ファンの方なら

よくご存知でしょうが、

備前国福岡は豊臣秀吉の軍師、

黒田官兵衛の父祖伝来の地であり、

江戸時代に黒田藩が領地とした

「福岡県」の由来となった場所です。

呉服屋の黒田さんも

「我家も官兵衛一族の末裔です」と

おっしゃっていました。

 

 

屋号・・・・・、

 

屋号なんだよなぁ。

 

 伊能忠敬の測量日記に出てくる協力者は

「名前だけが記されている人」と

「屋号+名前の人」、そして、

「苗字+名前の人」が登場します。

苗字帯刀が許された身分の家でしょう。

苗字が分かれば子孫を探しやすいのですが、

屋号だと、現在では土地の古老でも

知らないケースが多そうです・・・・・。

 

 

 測量日記に出てくる地名や人名、屋号を

インターネットでいろいろ調べていたら、

詳細は明かせませんが

すごいサイトを発見しました!

おそらく岡山県内在住の歴史愛好家で

県内の主な名家(庄屋級)の墓を調査し、

家系図を作られている方のサイトです。

どのように調べられたのか、

それぞれの家の歴史まで

わりと細かく記述されています!

家によっては屋号まで・・・!

 

 このサイトとの出会いが

子孫探しの大きな助けとなりました。

 

 

続く。

 

 

追記:

「黒田官兵衛」を演じた俳優・・・と言えば、

最近ではV6の岡田准一さんですが、

同じドラマシリーズで竹中直人さんが主演した

『秀吉』では、伊武雅刀さんが

官兵衛役だったことを思い出しました♪

というわけで、今回のカテゴリーは

「伊能忠敬」と、

2回目の「伊武雅刀さん」。

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し③

伊能忠敬

 

 文化2年11月15日(1806年1月4日)、

伊能忠敬が宿泊した備前国一番村

(現在の岡山市中区江並)の

「安太夫」は苗字が記されていないため、

どこの家かを調べるのは困難です。

 

 ただ、きちんと苗字や屋号が

記されている家もありました。

なかでも1806年1月20日から3月6日まで

1か月半も滞在したという「岡山城下の

脇本陣福岡屋吉郎兵衛」などは

簡単に判明しそうです! 由緒正しそう。

 

 「脇本陣」とは大名行列などが

宿泊した「本陣」の予備的な施設のこと。

旅館のようなものでしょうか。

調べてみると、現在の北区表町の

商店街アーケードの中にあったようです。

表町の「福岡屋」なら・・・・・、

 

 

 表町の呉服店「福岡屋」さんを訪ねました。

旅館ではなく呉服店であるという現実と

ウェブサイトの「大正13年創業」の

文字には目を閉じて・・・。

伊能忠敬に関する未発見の史料を

お持ちかもしれないという期待に

胸を膨らませながら・・・。

「大正13年に旅館から呉服屋さんに

業態転換したに違いない」と

言い聞かせながら・・・。

 

 

 

 店主の黒田浩一さんは以前、ニュース取材や

情報番組への出演でお世話になったことがあります。

熱が入り過ぎてたどたどしくなった私の説明に

興味深く耳を傾けて下さいましたが、

「うちのことではありませんねえ・・・」と

申し訳なさそうに、私の思い込み

(大正時代の業態転換)を否定されました。

本当に残念申し訳なさそうに。

突然訪ねて申し訳ないのはこちらなのですが。

 

 

続く。

 

 

 <伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し②

伊能忠敬

 

 

 2月半ば。

伊能忠敬研究会がデータベースを

公開したという新聞記事を見つけると、

私はすぐさまデータベースの検索システムで

岡山県内での伊能の足跡について

調べてみました。

 

 すると、私の故郷周辺での

かなり詳細な記録が!

 

<第5次測量>

1806年1月2日 南幸田村 磯屋太平

    3日 西大寺村 坂口屋松左衛門

    4日 一番村 安太夫

    5日 米倉村 和右衛門

    6日 早島沖新田 庄屋片山貞蔵

    ・・・・・

 

 第5次測量では、

1805年の12月22日に日生村に入り、

2か月近くの岡山城下(現在の岡山市北区

表町2丁目)滞在を経て

翌年の3月16日に笠岡村を出ていました。

そのうちの岡山市南部(現在)部分です。

 

 この中の「一番村」こそ

今ではその名を留めていませんが、

現在の岡山市中区江並。

私の実家のある地域です。

 

 210年と1か月程前、伊能忠敬は

私の実家周辺を測量していました。

当時、「一番村」に住んでいたはずの

私のご先祖様はその様子を

さぞかし物珍しげな様子で

見学したものと想像されます。

 

 伊能記録のデータベースによると、

その日は現在の東区九蟠(くばん)の

「射越屋紋八」さんの家で昼ご飯を食べ、

家や食器の見た目を褒めた後、

児島湾岸を西に向かって測量し、

その夜は「安太夫」さんの家に泊まり、

地図の精度を高めるための

天体観測を行っていたことまでわかりました。

 

 

 

・・・で、実家の近くにいた「安太夫」って

どこの家だ?