2月半ば。

伊能忠敬研究会がデータベースを

公開したという新聞記事を見つけると、

私はすぐさまデータベースの検索システムで

岡山県内での伊能の足跡について

調べてみました。

 

 すると、私の故郷周辺での

かなり詳細な記録が!

 

<第5次測量>

1806年1月2日 南幸田村 磯屋太平

    3日 西大寺村 坂口屋松左衛門

    4日 一番村 安太夫

    5日 米倉村 和右衛門

    6日 早島沖新田 庄屋片山貞蔵

    ・・・・・

 

 第5次測量では、

1805年の12月22日に日生村に入り、

2か月近くの岡山城下(現在の岡山市北区

表町2丁目)滞在を経て

翌年の3月16日に笠岡村を出ていました。

そのうちの岡山市南部(現在)部分です。

 

 この中の「一番村」こそ

今ではその名を留めていませんが、

現在の岡山市中区江並。

私の実家のある地域です。

 

 210年と1か月程前、伊能忠敬は

私の実家周辺を測量していました。

当時、「一番村」に住んでいたはずの

私のご先祖様はその様子を

さぞかし物珍しげな様子で

見学したものと想像されます。

 

 伊能記録のデータベースによると、

その日は現在の東区九蟠(くばん)の

「射越屋紋八」さんの家で昼ご飯を食べ、

家や食器の見た目を褒めた後、

児島湾岸を西に向かって測量し、

その夜は「安太夫」さんの家に泊まり、

地図の精度を高めるための

天体観測を行っていたことまでわかりました。

 

 

 

・・・で、実家の近くにいた「安太夫」って

どこの家だ?