娘の鼻歌

日常の出来事

 

 

 

 先日、台所で小6の長女が

鼻歌を歌っているのが

何となく聞こえてきたのですが、

その歌が、

 

 

 

「いろんなぁ出会いぃに〜、

 感謝ぁしながぁら〜♪♪」

 

 

 最近よく目にする

住宅メーカーのCMで

中村雅俊さんが熱唱している

曲でした。

 

 

 

 

小6女子、渋っ!

 

 と言うか、繰り返し流れるCMの

影響力を改めて痛感です。

 

 

 

 

 この歌は私の鼻歌レパートリーの

一つでもありますが、

いかんせんCMソングの宿命で

サビしか知らないので、

今度ぜひイントロ部分から

拝聴したいものです。

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し⑤

伊能忠敬

 

 岡山県内の主な名家の家系図が

掲載されているそのサイトで

伊能忠敬測量日記に出てくる

宿泊地と宿を提供した人の名前、

宿泊年月日照らし合わせてみると、

「あ、この人だろうな!」と

一致しそうな人が何人かいました。

その家のご子孫なら、ひょっとすると

未発見の貴重な史料をお持ちかも。

それが発見できれば、郷土の歴史の

解明につながるニュースになります・・・。

 

あ、

 

そうだ、

 

 

ニュースだ!

 

 

 一歴史ファンの趣味の域ではなく

次に私がディレクターを担当する

ニュース特集のテーマにしよう!

新史料の発見につながるような内容の。

そこまで至らなくても、

伊能忠敬と岡山のゆかりを紹介し、

多くの視聴者が「へぇ〜」と

感じてくれるような内容の。

 

 

 

 そう決めたら、堂々と日中に

リサーチができるようになりました。

 

 

 

業務として。

 

 

続く。

 

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し④

伊武雅刀さん 伊能忠敬

 

 黒田さんいわく、表町界隈には

かつての長船町福岡地区(現在の

瀬戸内市)から移住してきた人が多く、

故地の名を屋号とし「福岡屋」を

名乗る家が多かったとのこと。

 

 ちなみに歴史ファンの方なら

よくご存知でしょうが、

備前国福岡は豊臣秀吉の軍師、

黒田官兵衛の父祖伝来の地であり、

江戸時代に黒田藩が領地とした

「福岡県」の由来となった場所です。

呉服屋の黒田さんも

「我家も官兵衛一族の末裔です」と

おっしゃっていました。

 

 

屋号・・・・・、

 

屋号なんだよなぁ。

 

 伊能忠敬の測量日記に出てくる協力者は

「名前だけが記されている人」と

「屋号+名前の人」、そして、

「苗字+名前の人」が登場します。

苗字帯刀が許された身分の家でしょう。

苗字が分かれば子孫を探しやすいのですが、

屋号だと、現在では土地の古老でも

知らないケースが多そうです・・・・・。

 

 

 測量日記に出てくる地名や人名、屋号を

インターネットでいろいろ調べていたら、

詳細は明かせませんが

すごいサイトを発見しました!

おそらく岡山県内在住の歴史愛好家で

県内の主な名家(庄屋級)の墓を調査し、

家系図を作られている方のサイトです。

どのように調べられたのか、

それぞれの家の歴史まで

わりと細かく記述されています!

家によっては屋号まで・・・!

 

 このサイトとの出会いが

子孫探しの大きな助けとなりました。

 

 

続く。

 

 

追記:

「黒田官兵衛」を演じた俳優・・・と言えば、

最近ではV6の岡田准一さんですが、

同じドラマシリーズで竹中直人さんが主演した

『秀吉』では、伊武雅刀さんが

官兵衛役だったことを思い出しました♪

というわけで、今回のカテゴリーは

「伊能忠敬」と、

2回目の「伊武雅刀さん」。

 

 

<伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し③

伊能忠敬

 

 文化2年11月15日(1806年1月4日)、

伊能忠敬が宿泊した備前国一番村

(現在の岡山市中区江並)の

「安太夫」は苗字が記されていないため、

どこの家かを調べるのは困難です。

 

 ただ、きちんと苗字や屋号が

記されている家もありました。

なかでも1806年1月20日から3月6日まで

1か月半も滞在したという「岡山城下の

脇本陣福岡屋吉郎兵衛」などは

簡単に判明しそうです! 由緒正しそう。

 

 「脇本陣」とは大名行列などが

宿泊した「本陣」の予備的な施設のこと。

旅館のようなものでしょうか。

調べてみると、現在の北区表町の

商店街アーケードの中にあったようです。

表町の「福岡屋」なら・・・・・、

 

 

 表町の呉服店「福岡屋」さんを訪ねました。

旅館ではなく呉服店であるという現実と

ウェブサイトの「大正13年創業」の

文字には目を閉じて・・・。

伊能忠敬に関する未発見の史料を

お持ちかもしれないという期待に

胸を膨らませながら・・・。

「大正13年に旅館から呉服屋さんに

業態転換したに違いない」と

言い聞かせながら・・・。

 

 

 

 店主の黒田浩一さんは以前、ニュース取材や

情報番組への出演でお世話になったことがあります。

熱が入り過ぎてたどたどしくなった私の説明に

興味深く耳を傾けて下さいましたが、

「うちのことではありませんねえ・・・」と

申し訳なさそうに、私の思い込み

(大正時代の業態転換)を否定されました。

本当に残念申し訳なさそうに。

突然訪ねて申し訳ないのはこちらなのですが。

 

 

続く。

 

 

 <伊能忠敬の電子百科事典

 『イノペディア』のサイトはこちら>

 

http://www.inopedia.tokyo/

 

 

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し②

伊能忠敬

 

 

 2月半ば。

伊能忠敬研究会がデータベースを

公開したという新聞記事を見つけると、

私はすぐさまデータベースの検索システムで

岡山県内での伊能の足跡について

調べてみました。

 

 すると、私の故郷周辺での

かなり詳細な記録が!

 

<第5次測量>

1806年1月2日 南幸田村 磯屋太平

    3日 西大寺村 坂口屋松左衛門

    4日 一番村 安太夫

    5日 米倉村 和右衛門

    6日 早島沖新田 庄屋片山貞蔵

    ・・・・・

 

 第5次測量では、

1805年の12月22日に日生村に入り、

2か月近くの岡山城下(現在の岡山市北区

表町2丁目)滞在を経て

翌年の3月16日に笠岡村を出ていました。

そのうちの岡山市南部(現在)部分です。

 

 この中の「一番村」こそ

今ではその名を留めていませんが、

現在の岡山市中区江並。

私の実家のある地域です。

 

 210年と1か月程前、伊能忠敬は

私の実家周辺を測量していました。

当時、「一番村」に住んでいたはずの

私のご先祖様はその様子を

さぞかし物珍しげな様子で

見学したものと想像されます。

 

 伊能記録のデータベースによると、

その日は現在の東区九蟠(くばん)の

「射越屋紋八」さんの家で昼ご飯を食べ、

家や食器の見た目を褒めた後、

児島湾岸を西に向かって測量し、

その夜は「安太夫」さんの家に泊まり、

地図の精度を高めるための

天体観測を行っていたことまでわかりました。

 

 

 

・・・で、実家の近くにいた「安太夫」って

どこの家だ?

 

自宅の掛け時計の壊れ方

日常の出来事

P1010844

 

 

 

 自宅の和室の壁に掛けている時計が

壊れました。

 

 チクタクチクタクチクタクチクタ

超高速で時を刻んでいたかと思えば突然、

チ、クタ、、、、、ク、、チ、、、ク

 

 

息も絶え絶えのリズムになったりします。

 

 

 この間、壊れていない時計で計ったら、

針が1分進むのに5分かかりました。

 

 

 

 その5分が無駄でした。

 

 

 タイム・イズ・マネー。

 

 

伊能忠敬の測量に協力した約1万2000人の子孫探し

伊能忠敬

ブログ用①

  【写真 千葉県香取市伊能忠敬記念館所蔵】

 

 江戸時代後期に精密な日本地図を作った伊能忠敬。

商人として成功を収めた後、

50歳で江戸に出て暦や天文学を学び、

55歳から17年かけて全国を測量しました。

平均寿命の短かった時代に

なんという「パワフルシニア」でしょうか。

 

 伊能忠敬は測量にあたり、

日付や天候、宿泊した家や出迎えた人、

時には昼ご飯を食べた家の名前まで

つぶさに記録していました。

その人数はなんと1万2000人分!

 

 今年2月、「伊能忠敬研究会」が

その1万2000人のデータベースを

完成させたと発表しました。

インターネットで誰でも簡単に

伊能忠敬の行程や宿泊場所、

測量協力者の名前などを検索できます。

 

 この検索システムを使って協力者の子孫や

各地に伝わる未発見の史料などを探し出し、

伊能忠敬のインターネット版百科事典、

「イノペディア」を充実させるのが狙いです。

また再来年2018年は忠敬の没後200年にあたり、

多くの子孫とともにその偉業を顕彰する動きも

進んでいます・・・・・。

 

 

 

 歴史好きの私はこの取り組みの虜になりました。

そして、ほぼこの1か月というもの

このブログの更新も滞るほど

岡山での子孫リサーチやら

新史料発見の妄想に時間を費やしてきました。

ただ、「単なる趣味」のために時間を費やすよりは

少しでも何か業務に生かせないかと思い、

取材して放送することにしてみました。

 

 

 で、第1弾が今夜です。 急ですが。

「みんなのニュース」の午後6時14分からの

岡山香川放送枠の特集コーナーです。

どうぞご覧下さい。

 

 

 この取材にまつわるエピソードを

「伊能忠敬」という新カテゴリーを設け、

随時綴ることにしましたので、

今年度も引き続き、ブログをお読み頂ければ

嬉しいです。

あ、最初に作った「伊武雅刀さん」について

あまり投稿していませんね。

こちらも何か新情報があれば更新します。